一触即発の攻防
じり。じり。
まさにそんな効果音でも付きそうな勢いで、元閥はゆっくりと後ずさった。
こんと手首が壁にあたり、額から流れた汗が床に落ちる。
喉奥に絡みついた空気を音を立て飲み込むと、元閥はそろりと視線を上に移した。
背に灯りを背負っているためか、影で覆われた表情を窺い知ることは出来ない。
元閥はこれ以上逃れられないことを悟り、されど、と今度は横に足をずらした。
―――が、細い手首を掴まれ、今度こそ逃れられないかと短く息を吐いた。
【一触即発の攻防】
「――――――アビ、お前、手に、何を、持っている?」
一言一言を区切るように呟いた元閥は、ゆっくりと視線を巨躯が持っているモノに移した。
巨躯――アビは元閥を壁際まで追い、壁と己の体で挟むような体勢を取る。
啄ばむように額に唇を落とし、至上の笑みを元閥へ捧げた。
その笑みには含みも、悪意も、何もかも、感じられない。
だがアビがその手にしているものは――元閥にとっては悪意の塊以外の何物でもなかった。
「何って…」
「儂の見間違いだと信じている。信じている。お前はきっとそんなことしないと、信じている。
―――その上で、聞こうかアビ。お前が手に持っているものは、何だ?」
「淫」
「離せアビ!!今すぐ離せ儂をここから出せ!!」
「何を言っている。別に監禁しているわけじゃないぞ」
己の見間違いではなかったことに、元閥はヒクリと喉を鳴らした。
男の一物を模したそれは、俗に言う張形か。
アビはあろうことかそれを右手に持ち、左手で元閥の衣を剥ごうとしていた。
元閥は嫌々と首を横に振り、何とか腕の呪縛から逃れようと力を込める。
だが逃さないとばかりに腰を抱き寄せ、アビは白く浮いた鎖骨に唇を落とした。
「ぁっ…」
「貴方を喜ばせてやりたいと思ってな。マスラオに無理を言ったんだ」
「ば、馬鹿っ…」
純粋。その瞳はただその感情を宿していた。
そしてそれとは逆に元閥の瞳には、マスラオに対する怒りと、この朴念仁に対する呆れ。
アビは優しく接吻けをし、微かな隙間から舌を潜り込ませた。
広い肩を押し、それでも逃れられず、元閥は躊躇いがちに舌を絡ませる。
そして、この事態を招いた、己の発言を思い出し、泣きそうに眦を下げた。
* * *
『アビ、抜けっ…』
『元、閥…?』
『もう、一回達しただろうが…!抜けっ、お前の下手くそな性技なんて受けられるかっ』
『……!!』
* * *
言い訳させてもらえるならば、別にアビとの交合が嫌だったわけではない。
むしろ気持ちよくて、優しく包んでくれるそれが、一番好きだった。
それでもあの時、突き放したのは―――、
『もう、一回達した』からなのだ。
一度達してからの交合は、辛い。痛いとかではなくて、気持ちよすぎて辛いのだ。
だからああいった言葉で突き放したのだが―――まさかそれが原因で、こんな事態を巻き起こす羽目になってしまうとは。
己自身で気持ちよくさせられないのならば、何か道具を使ったらよいのではないか。
おそらくそんな結論に至ったのであろうアビは、機の民であるマスラオに相談したのだろう。
そして、こんなものを取り出してきた。
「安心しろ、元閥。―――鳴くほど、気持ちよくさせてやるから」
ただ純粋にそう紡いだ唇を、腹いせに噛んでやった。
【終】