己が涙は誰のもの











血が舞う。
儚く美しく、ただ、紅が。
己を抱き締める褐色の腕には、無数の切り傷。
広い背に突き刺さる、槍。
薄れ行く意識は、微笑む男を映した。











【己が涙は誰のもの】













冷たい水に浸している筈なのに、元閥の指はそれを冷たいと認識しなかった。
長時間浸していたから感覚を失ったのか、それとも他に原因があるのか。
指先が赤くなり、ようやく冷水から手を抜いた。
水浸しの手拭いを絞り、己の目の前でその体躯を横たわらせている男の額に、そ っと置いた。
褐色の肌に似合わぬ包帯は、血を吸って赤く変色している。その下に生々しく刻 まれているであろう疵(きず)は、熱を持ち。
荒く浅い呼吸を繰り返していた唇に、触れた。



「…馬鹿だね、お前は」



誰に言うでもなく呟いた言葉は、重い空気に溶けて逝く。
掛物からはみ出ている腕をそっと戻してやり、広い胸に頬を寄せた。
包帯越しに伝わって来る心音に、心底安堵した。
目を閉じれば、浮かび上がる凄惨な光景。
舞い散る血に、恐怖した。



「………元…ば、つ?」
「!! アビ!」



数瞬唸るように眉根を顰めたアビは、その双眸を躊躇いがちに開いた。
未だ視界が霞んでいるのか、濁っている黒目を擦り、痛みに鋭い声を上げた。
それでも無理に体を上げようとするので、元閥は止めようとうわずった声でそれ を制した。



「元閥、俺は…」
「…馬鹿アビが…」



憎まれ口を叩き、頬を伝う熱いものを小袖でグッと拭いた。
悟られないようにしたつもりだが、どうやらこの男は意外と目敏いらしい。
痛みで軋む体を何とか動かし、武骨な指をそっと元閥の目尻に寄せる。
浮かんでいる涙をゴシゴシと拭って、俯いている頭を包帯の巻き付けられた胸に 抱き寄せた。
少しだけ躊躇ったように体を強張らせていた元閥だったが、恐る恐る広い背に腕 を回した。
弱い力で、出来るだけ負担をかけないように。
それはこの人の精一杯の思いやり。



「…死んだら、どうしようかと」



ポツリと零した言葉は、この人の本音。
普段は心配している素振りなどまったく見せないのに。むしろ罵ってくるか。
細かく震える頭を宥めるように撫でてやれば、ほんの少しだけ、腕の力が強くな った。



「貴方を守って死ねるなら本望だ」
「儂はそんなこと望まんっ」



涙声で訴えて来る年上の男の身体が、いつもより小さく見えた。
ようやく顔を上げた元閥は、呟く。
アビにだけ聞こえるように。



「儂のために死ぬな」




―――儂のために生きろ、と。




一瞬鳩が豆鉄砲を食らったような表情を浮かべたアビだったが、困ったように吹 き出した。
その瞬間背に痛みが走ったが、まぁよしとしよう。
アビはそんな元閥の紫苑を真っ直ぐに見つめ、白魚の指をそっと手に取った。
雪のような甲に唇を落とし、誓う。



「俺は貴方のために在る」













【終】