夕陽の檻から逃れる術を
シャナリと、衣が鳴る。
道行く男共がこちらをジロジロ見て来て、気分が悪い。
にも関わらず隣で頬を弛ませている連れは、至極幸せそうに甘味処の看板を見つ
めている。
アビは片手に菓子、片手に小間物といったある意味情けない格好で、これまた情
けない溜息を吐いた。
【夕陽の檻から逃れる術を】
「――おい元閥」
「止めるなアビ。儂は今猛烈に、堪らなく、とてつもなく甘味が食いたい気分な
んだ」
ふらふらと甘味処に入ろうとした元閥の首根っこを掴み、今日何度目かも知れぬ
溜息を吐く。
最初はアビもそんな光景を微笑ましく見ていたのだが――時間が経つにつれて見
るからにアビの頬がこけ、目の下には隈が出来てしまっている。
別に病でも睡眠不足でも何でもない。ただ、疲れただけだ。
――――そう、疲れたのだ。
元閥の買い物に付き合うのは苦でも何でもない。むしろ嬉しい。
普段滅多なことがなければ二人になどなれないのだから、この時間がずっと続い
て、止まってしまえばいいとまで思える。
だが、困るのは周りの眼だ。
元閥は美しい。ただ、それが問題なのだ。
一見しただけでは女と見間違うばかりの見目は、下衆な男共の眼を惹くには十分
すぎる。
そんな男共の妄想の中で、この美しき主がどのような目に合っているのかと思う
と…!
「兎に角駄目だ。とっとと帰るぞ」
元閥の潤む瞳(おそらくこれもわざとだろう)を一蹴すれば、歩きだしたアビの
背で悔しそうな舌打ちが聞こえた。
そして――至極嬉しそうな、元閥の声。
背中に冷たい汗が伝うのを感じ取り、アビは恐る恐る振り向いた。
すると、やはり恐れていた光景が広がっているではないか。
「――娘さん、よければご一緒に如何ですか」
「いいのですか?では――」
「ちょっ、コラ待て元閥!!」
他の男に腰を抱かれ、そのまま甘味処へ意気揚々と入ろうとした元閥は、突如背
をグイと引かれ体勢を崩した。
低く鈍い音を立て尻餅を付いたが、痛くはない。
当然だろう。――アビが下敷きになったのだから。
アビは衝撃で落としそうになった荷物を何とか顎で支え、ふぅと一つ息を吐いた
。
* * *
「お前が邪魔しなきゃタダで甘味が食えてたのに…」
帰路ずっとそんな事を言っていた元閥は、頬を膨らませている。
どれだけ甘味が食べたかったんだと心の中だけで疑問を投げ付け、問えない疑問
の代わりに夕陽で伸びた元閥の影を踏む。
何だと振り返った元閥は、背に夕陽を背負っていた。
「二度と貴方と買い物は行かない」
「構わないよ。お前じゃなくても買い物に付き合ってくれる奴はごまんといる」
「…………」
まるで幼子のように舌を出した元閥は、満足したかのようにアビに背を向け、夕
陽を見つめた。
そして、恐怖する。
大きな音を立て、アビに抱えられていた大量の荷が全て地に落ちる。
「あ…!?」
「駄目だ、元閥―――」
己より華奢な躰を背から抱き締め、肩に顔を埋める。
夕陽から元閥の姿を隠すようにし、アビはただ抱き締めた。
「コラ、アビ…折角買った菓子が…」
「…………くな」
聞き返そうとして、遅かった。
無残にも潰れた菓子を視界の隅に映したまま、元閥は眼前に広がった男の顔を、
ただ怪訝な瞳で見つめ返していた。
「我儘にだって付き合うし荷物持ちもする。だから他の奴の所へ行くな」
あぁ、なるほどと、理解する。
元閥はクスリと困ったような笑みを一つ浮かべ、大きな手の甲に触れた。
【終】