the first story












俺は、儂は。




本当に居るかも分からない神を、恨もう。




こんな感情を与えた神を憎もう。




だけど、それでも。




俺は。




儂は。





貴方を。




お前を。




―――――愛してる。













Thou not having a blessing of God...







the first story












町外れにひっそりと佇む小さなラーメン屋、山民。
昼も少しすぎた頃から暖簾を掲げるその店は、小さいながらも味や対応の良さから足を運ぶ人が絶えないという評判振り。
山民は、その店の店主が切り盛りしている。
人より少し大きめの体躯と褐色の肌を持つ店主は、名をアビと言う。
穏やかな性格の彼は、出来るだけ客の要望を聞き入れたりしている。それが店の為になり、なおかつ客の為になるからだ。
―――だが、例外も居る。
深夜11時の閉店間際、毎日のように駆け込んで来る客がそれだ。



アビは壁に掛けてある時計にちらりと視線を投げ付け、溜息を吐いた。
現時刻、10時45分。
客足を見計らって片付けを進めていたアビは心底から「少し早いが暖簾下げるか」など本気で考えてしまう。
すると表で何やら騒がしい音が聞こえ、それが客の居ない店内に響き渡った。
息を切らした男が勢いよく引き戸を開け、店内に顔を見せる。そして、息も絶え絶えに言うのだ。



「アビ、いつもの!!」



これから閉店時間はコイツが来る前にしようかと、アビは真剣に考えた。












「ほらよ」
「相も変わらず美味そうだな、さっすがアビ」
「とっとと食え」



割り箸を行儀悪く口で割り、アビを困らせる男は一口目を啜った。
アビはこの男のことを良く知らない。知っているのは元と言う呼び名のみ。
男のくせに長ったらしい髪は後頭部で高く結わえ上げられ、肩より少し下で揺れている。
顔は――良く分からない。
濃い色のサングラスでその瞳を覆い隠しているからだ。人は目を隠せば誰か分からなくなると言うが、まさにその通りだと思う。



「くくっ、悪いな。わざわざ儂のために待っててくれるんだから」
「誰がアンタなんて待つか。そう思うならもっと早く来い」
「走ってるだろ」
「それでもギリギリだ」



嫌味を込めて言ってやったが目の前の男は幸せそうにラーメンを啜っているではないか。
アビはこれ以上言うのを諦め、明日のスープの仕込みを始めた。
微かに漂うスープの香りに、元閥の頬が緩む。
最後の一口まで飲みきった元閥は、これまた毎日のように頬杖を付きジッとアビを見つめた。
その視線に気付いたのか、アビが怪訝そうに眉を顰める。



「何だ」
「明後日は休みか」
「日曜は定休日だ」
「学校じゃあるまいし」
「大事な用があるんだ」
「女か」
「違う」



アビは手早く空になった丼を下げ、代わりに水の入ったコップを置いた。
氷の塊がコップの中でぶつかり、何とも小気味良い音を立てる。
元閥は浮かび上がって来た水滴で表面上が冷えたコップを取り、口に流し込んだ。
半分まで飲み、片手で己の長い髪をいじくる様はまるで女のようだ。



「とにかく、アンタに話す義務はない」
「連れないな、モテないぞ」
「別に結構」



すると不機嫌になったのか、視線だけで腕に巻いてあった時計を見ると、元閥は ガタガタと椅子を引いて立ち上がった。
何かと思い時計を見れば――なるほど、時刻は既に11時20分。
いつも閉店間際に飛び込んで来るこの厄介な客は、いつもこの時間前後に帰って行く。
一度問い掛けたことがあったが、その時は「観たい番組がある」だか何だかで結局はぐらかされてしまった。
それ以来聞こうとするとのらりくらりとかわされてしまうので、もう聞くのは止めた。



「元さん、アンタ何処に住んでるんだ」
「押しかける気か」
「んなわけあるか。毎日毎日来るから気になっただけだ」



すると彼は机の上にラーメン代380円を置き、分厚いサングラスの奥に位置する瞳で笑った。その証拠に口角が上がっている。
羽織ったコートのポケットに無造作に突っ込まれた財布は、やけに窮屈そうだった。
答えずに店を出ようとしたから、アビは殆ど無意識に「おい」などと声をかけていた。



「――車で10分くらいだな」
「…それでよく時間ギリギリに来れるな」
「忙しいんだよ、仕事柄」



そして「また来る」と言った彼の姿を、冷たい外気が飲み込んで行った。
綺麗に空になった丼を流しに置き、アビはグツグツと煮立つ寸前のスープを火から下ろした。














* * *













「――まだ、いたのですか」



青白い月光が、天窓から降り注いでいた。
色鮮やかなステンドグラスを通り、鏡のように磨かれた床に赤や黄、青など様々な色が映し出されている。
カツと高く澄んだ靴音に、まるで祈りを捧げるかのようにステンドグラス――聖母マリアを仰いでいた男は、ゆっくりと振り返った。
Tシャツにジーパンというラフな格好の男は、突然の乱入者に動じることもなく…いや、むしろ歓迎するように、その両手を広げた。



「よぉ牧師サマ――」
「仕事は終わったはずでしょう。早くお帰りください」
「ツレないねぇ…」



注がれる月光が、牧師の顔を照らし出した。
病的なまでに青白い顔は、そこらの女にも負けないほど美しいのではないか。
白い肌に映える、異常なまでに爛々と光る、紫苑はまさに妖艶とでも言うべきか。
その牧師の胸元で、何かが光った。
銀で形作られたそれは――十字架(クロス)。
男は整った顔を牧師に向け、嗤った。



「何時だと思っているのですか。迷惑です」
「いやなに。お前の顔が見たくなったんだよ」
「上手いですね」
「女口説くのは得意なんだ」
「私は男です」
「固いこと言うなよ」



牧師の手を掴み、抱き締める。――が、瞬間男の口から濁ったような声が洩れた。
緩んだ腕からいとも容易く抜け出した牧師は、呆れたような溜息を吐いて、冷ややかな視線で男を睨み付けた。
男は殴られた鳩尾を押さえ、恨めしそうな瞳で牧師を見た。
それでも表情を崩そうとしない牧師は、薄桃の唇を開く。



「神は同性愛を禁じています」
「神なんていないよ」
「ここは教会です」
「教会で人殴っていいのか」



ふんと鼻を鳴らし、軽く呼吸を整え、男は牧師の髪に触れた。
牧師も特に嫌な表情を浮かべなかったように見えるのは、きっと気のせいだろう。
男は「やれやれ」とでも言うように首を竦め、絹髪に恭しく唇を落とした。













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